洗ったトマト そのまま齧る

栄冠つかむその日まで

担当制度という魔法の言葉

もう何年も前、ある人(notジャニヲタ)から「何でジャニーズファンって担当って言うの?マネージャー気取りなの?」と言われてはっとしてから、それ以降担当とはなんぞや、とぼんやりと考えたりするのですが。
(言われるまで気付かなかったけど担当って本当に特殊な言葉なんだなーって思った)

以前インタビューズだったかAskだったかで「担当とは」と聞かれて、「お金と時間を掛けたいと思えるかどうか」と答えて、その後もずっと「担当とは」聞かれる度に同じ返答をしてきました。その考えは今も変わっていません。
だけど私が「お金と時間」を掛けるのはあくまでも「自分の為」であって。
「自分が観たい」からコンサートや舞台を見に行く、「読みたい」から雑誌を買う、「欲しい」から公式写真やグッズを買う。
限られた「お金と時間」を、「自分」の欲の為、自己満足の為に使っていました。本当に誰の為でもなかった。

だけど、ある時から「観たい」が「観なければいけない」という「義務」に変わってしまった事に気付きました。
そして、それらが全て「担当の為」になっていた事にも。
「コンサートやるの?行かなきゃ!動員塗り替えて事務所に需要があるってわからせなきゃ!」
「雑誌載るの?買わなきゃ!完売させてアンケートバンバン書いて需要があるってry」
「グッズ?写真?買わなきゃ!完売させて以下略」
悪い事だと思わないし皆頑張ってるなー、と思いますがどうも私には無理だった、出来なかった、合わなかった。

それに対してぐるぐるもやもやしていた時に頭に浮かんだ言葉が冒頭の言葉、「担当ってマネージャー気取りなの?」でした。
確かにそうだね、こういう行動全部云わば「売り込み」だもんね、皆必死だもんね。
フォト一揆()とかクリエの当日券()とか、もう私はすごく冷めた目で見てるし引いてるし、だけど行動全てが「担当の為」だと考えると納得はできる。「担当=マネージャー」だという事も。

だけど私には出来なかった。周りの熱量が怖くて、自分と周りの温度差も感じる様になった。
その時から私は「担当」という枠を外して見る様になった…と書くと降りた様に思われますが全然そういう訳ではなく。向こうから与えられる物を選び取る、というスタンスに変わっただけです。
自分にはこのやり方が1番合っている、そう気付くまでに時間は掛かったけど気付けて良かった、と今は思います。
あくまでも私にとって「ジャニーズ=娯楽」だったから。今はすごく穏やかな気持ちで見ていられる。
(もう1度書くけど降りた訳ではない)(今更降り先も見つからない)

ジャニオタは特殊な文化だと思うけどとりわけJr.担っていうのはその中でも更に特殊で、皆がタレントのマネージャー、皆必死。
そしてその役目が(自分の中で)「終わった」と思ったら自然と次に移る人もいれば、静かに去る人もいる。勿論行動を続ける人もいる。
去っていく人と同じ位新たに入ってくる人もいる。だからどれだけ淘汰されてもオワコンにならないんだね、と思う。
「担当」という言葉の持つ重さが、ようやく分かった気がします。

「担当」に対し否定的な文章になってしまったけど、誰かのやり方・あり方を否定している訳ではないのでそこはご理解頂ければと思います。
ブログに書く事も迷ったけど、書く事によって自分の中で消化が出来ました。

今後は自分に素直に生きていきます。