雪の重みに耐えて生き抜いた その誇りで春を照らせ
自分だけにしかない 生き方で
このきらめく 春を歌え
私の好きな人が、入所14年目を迎えました。おめでとうございます。
「好き」になってよかったと思う瞬間は、何度もあります。いつもどこかで存在を気にしていたし、その姿を目で追っていました。「今更何を言うのか」と思う人もいるかもしれません。もう私に「ファン」だという資格はないのかもしれません。それでも、忘れる事はできなかったし忘れられるはずはありませんでした。
「好き」になったのがいつだったか、もう明確には覚えていません。ただ、好きになったその瞬間の事は、今でも明確に覚えています。
よく「どこが好きなの」とか「どうして好きになったの」とか聞かれるけど、私にもわからない。寧ろ私が聞きたい。好きになった理由は、今でも本当にわからない。
それでも私は、この人を選んだ。私の目の前に現れてくれたあの日に。
あの日から今まで、有り難い事に(多少の波はあれど)ずっと好きでいさせてくれた。ありがとうございます。
今では、「この時のここが好き」と言えるところがたくさんあります。「どうして好きなのかわからない」と思う事もまだまだあります。
そのどちらも、自分の正直な気持ちです。
全てにおいて「理由」を求めてしまう私は、「よくわからないけど好き」という理由を否定し、言葉で説明できる理由を探し続け、何度も疑い、何度も確かめながら、自分自身を納得させてきました。
「よくわからないけど好き」というのも明確な理由だし、「好きになるのに理由はいらない」はずなのに、どうして目に見えてわかる理由を求めていたのだろう。
今ならわかりますが、私はこの人を好きでいる事に自信がなかったのだと思います。
自分に自信を持つ為に、明確な理由を求め、自分を肯定していたのだと思います。
どうして自信が持てなかったのだろう。とても失礼な話ですが、当時の自分は好きになった事を認めたくなかったんじゃないかなと思います。
所謂「担降り」という経験が初めてだったので、「人はこんなに簡単に心変わりするものなのか」と不安でしょうがなく、「だから私は降りました」と自信を持って言える理由を求め、自分を安心させていたかったのだと思います。
そんな自信が持てなかった日々から数年。
今は堂々と「私はこの人が好き」と言えるようになりました。「好き」でいる事を肯定できたから。
半年程前、久しぶりにステージで見たその姿は、私に好きになり始めた当時の記憶を呼び起こさせてくれました。
「やっぱりこの人が好きだ」そう思わせてくれるのに充分なものでした。
「好きになってよかった」改めてそう思いました。
私が見ているのは勿論外に見せてくれている姿だけで中身がどうとか知る由もないし知りたくもないし知る努力もしませんが、見せてくれているその姿が嘘だとも思わないし、「嘘だと思わせない」努力をしてくれているなら、そこに「ありがとう」を言いたいです。
そんな私の好きな人が、入所15年目に突入します。おめでとうございます。
あの日、私の目の前に現れてくれてありがとうございます。苦手だった「赤」という色を好きにならせてくれてありがとうございます。
来年は「デビュー1年目」という今までと違う未来を迎えますね。
希望に満ち溢れているのに不確かな未来で、この先どの場所に立っているのか想像もつきません。
ずっとその場所にいてくれる保証は無いし、私がずっと好きでいる保証もありません。
それでもひとつ言える事は、「好きでいた事に嘘はない」という事です。
「好きでいる理由」を肯定できた様に、「好きでいる自分」を肯定できました。
結局私はいつも心の中でうちわを胸の高さで振っているし、赤いペンライトを点灯させています。
キャラにない事を言うと、私は周りが思っている以上にこの人の事が好きなのだと思います。
改めておめでとうございます。
これからも、貴方自身の未来を肯定できる様、心から願っています。